とてもじゃないが楽しい

趣味について語ったりします

プラス1EVの勇気

こんちは。

でっちうでございます。でっちゅうとも。一人称は気分次第。

ここは主に私の趣味や趣味や趣味や、時々あるのかないのかわからない悩みなどを書く場にしたいなと。基本は独り言ですが、それでも誰かに読んでもらえることは嬉しいことですし、色々な活動へのモチベーションとなれば良いな、などと考えています。

ちなみにブログのタイトルはあまりに思いつかず(仮)状態です。そのうちに気が変わるかも。知らんけど。

まずは、何年ぶりやら知れぬブログ回帰の経緯と最近の心境の変化など。趣味である写真について。

 

 

古い話

その昔、10年くらい前の話でしょうか。ブログが流行り始めたかなという時代、自分でもブログを書き殴っていた時期がありました。まだ若かった。結構尖っていた時代というか、何をそんなにキレていたのか、今となっては不思議。その後加齢で多少は刃こぼれしましたが。

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古い話

高校時代は写真部に所属していました。驚くほどダラダラとした部で、部長として何か苦労した記憶がございません。部員も顧問も好き勝手に活動していて、好きなときに集まって、好きなように活動して帰る、みたいな。部としてのまとまりは皆無。まとめようともしていなかったから楽だったのかも。お堅い教師陣からは白い目で見られていた気がしますが、楽しいものでした。

部活でなくとも、写真が恐ろしい程に楽しい時期でした。とにかく恥も外聞もなく、人目を気にせず撮りまくる。通報されようが知ったことではない。創作に心躍ると結果も出ました、ナントカ文化祭みたいなエリア選抜の大会で最優秀賞、までは行ったっけ。

とにかく人に迷惑さえかけなければ何をしてもOK、という感覚。とにかく撮ることが楽しかった記憶があります。

 

が、それも長くは続かなかったのです。受験勉強の真似みたいなことをして大学に進学しますが、写真に関しては氷河期に突入します。

 

 

冬の時代

大学に進学してからも写真は撮り続けました。継続できているのは楽しいから、でしょうか。然に非ず。

残念ながら楽しくなくても継続はできる。男性の方が生活習慣をroutineにすることを好む、ということはどこかで聴いた話ですが、そのように撮る行為が習慣化し過ぎた大学時代でした。はっきり言って惰性ですよね。

撮りはするものの、どうも気分的に高揚しない"なんか違うなあ"時代は、それはそれは長いものでした。当然、楽しく撮っている時間よりも長い。

当時は、といってもここ10年くらいの話ですが、デジタルカメラの性能が飛躍的に向上し、毎年のように次々と驚愕の性能を持つカメラが発表され、ワクワクした時代だった、という背景があります。毎年のように機材の更新はできないけれども、メキメキと音を立て、デジタルカメラの性能が上がってゆく、撮影できるシーンの限界が上がってゆくさまを眺めるのは楽しいものがありました。

ただ、それでもなんだか自分の写真は面白くない。血が滾らない。何故かわからない。

 

楽しくない理由は明らかにならないまま学生時代は終わり、モヤモヤした社会人となるのでした。結局、学生時代はずっと冬。

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冬の時代

 

 

 人を愛するのは理屈じゃなかった

社会人になり、すぐに比較的長期の出張の機会がありました。

国内のため生活に不自由はありませんでしたが、当然ながら現地にそれほど友人が多いわけでもなく、ずっと仕事。仕事仕事仕事で現地でコミュニティを広げる時間もなく、辛いものはありました。向き不向きはあるかも知れませんが、少なくとも自分にとって、そんな状況で気の合う人たちと会えなかったのは非常に寂しかった。出張先で旅をするのは楽しかったけれど、どこに行っても基本的に自分一人ってのも、なんだかね。

乗るか、撮るか、しか楽しみはありませんでしたが、そのような状況だったからこそ、趣味に対する向き合い方を見つめ直すことができたとも言えます。

空き時間を見つけては現像作業をし、撮影枚数も激減した中で何とか楽しみを模索する日々、あることに気づきます。

そもそも俺は写真を撮っていないじゃないか、と。撮っていたのは作例だったのです。それも特に誰かに向けて発信しているわけでもなく。誰に向けてレビューしているんだ?と。

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作例の作例

近年のデジタルカメラの進歩が凄まじいものがあった、と前述しました。画素数が増えても高感度性能は向上し、暗所でも低ノイズで撮影できるようになり、小型軽量になり、連射の速度は上がり、ストレージの単価も下がりました。他にも数々の技術的進歩がありました。

それ自体は極めて素晴らしいことです。エンジニアとして生きている現在、技術を否定することはできません。現在進行系でその恩恵に与っているわけですし。ただ、当時の自分は新しい機材が出たらレビューを読む・買えたらテストして、驚くだけ。そこで終わってしまっていて、その先がなかったようです。

技術的には正しい姿ではあるけれども、これは写真として・表現として、自分の写真に対する向き合い方が変化し、勝手におかしな方向に向かったきっかけであったように思います。撮れるシーンを広げるための技術の進化を試すことがいつの間にかメインとなってしまい、記録にシフトし過ぎたように感じています。これに気付くのに数年かかったわけです。今まで一体何をしてきたの?という感じ。

ただ、この冬の時代に撮った写真も、全部ダメダメとは言い難い。テクニックとまでは言いませんが、小技は着実に身についていました。前述の通りテストすることや小綺麗にまとめることしか考えていないから、面白くはないけれども雰囲気はあったり。

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人を愛するのは理屈じゃなかった

数字に踊らされた悲しき理系の姿がそこにあったのですね。要は人を愛するのは理屈じゃなかった、と気付くまでに30年かかったような(?)。

変なこと言っているようですが、理屈ばっかりだと楽しくなくなる、たぶんこれは間違っていない。

 

 

プラス1EVの勇気

と、まあ、何故か出張先で、趣味に血が滾らなかった理由に気づきました。

出張から戻り、時間が増えたタイミングで、写真趣味に対する向き合い方を変えることにしました。作例ではなく表現ならば、格好悪くて、泥臭くて良いじゃないかと。これできっと趣味は楽しくなるだろうと。

 

先日、仲の良い友人らと静岡・長野・富山と旅行に行ってきたのですが、今回からは何かを変えようということで、出発する前に一つだけ自分で決意したことがありました。

「今回は彼ら彼女らとの距離をとにかく詰めて撮りまくる、躊躇わない、そして画質は気にしない」ということです。だから、いつでもどこでも写真が撮れる状態で過ごし、まずはカメラを構えた位置から更に一歩前に出て、距離を詰めてみました。

被写体が人間であれば、距離が近いほどに、撮るという行為はインタラクティブで、会話を含めたコミュニケーションになる。だから心理的な距離が近いことは最大限に活かしたい。今回彼らの良い表情を引き出すのは俺じゃ!というわけで張り切って撮りました。

 

いざ撮り始めると、数年ほど機材テストがメインになっていたせいで、暗所での撮影がメインになっており、体内露出計が狂っていることに気が付きました。放って置くと暗めの露出をしてしまうんですね。ということで今回の旅行では、ちょっと明るすぎるんじゃないか?と感じる露出を心がけました。明るくすれば良いというものではないのですが、彼らの表情を明るく楽しげに描くには最適だったし、それ自体が自分にとっては光に溢れた演出が新鮮で、楽しむことができました。「楽しい」は大切です。ノッているときは出来上がりも違います。。

白飛びに限らず黒つぶれ、ノイズもそうですが、避けるべき存在を活かすことも考えて良いだろう、と思うことができるようになりました。

 

本来であれば当然の話ですが、表現したいものが先にあって、その手段としての写真がある。少し気付くのは遅くなりましたが、良い転機となると考えています。雰囲気だけの写真も悪くはないけれど、徐々に芯のある写真を増やしてゆきたいと考えています。

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プラス1EVの勇気

 

 

初回ということで振り返りも含めた結果、かなり感情グイグイめなエントリーとなりましたが、 普段はもうちょっと淡々とやっていきます。たぶん。どちらかというと、揺さぶりたいのは写真を見る側の感情ですよね。

良い発信の場になりますように!